今回は京都市内の小野小町ゆかりの場所を歩き、仏さまの姿を描き写す写仏を隨心院で体験させてもらいます。
菊野大明神
スタート地点は室町時代に創建された法雲寺の境内に祀られている菊野大明神です。
ここには小野小町にまつわる悲しい話が残されています。
平安時代のお話です。絶世の美女といわれた小野小町に恋心を抱く人物がいました、深草少将です。
ある時、深草少将は小野小町に愛を告白します。
すると小野小町は「百夜、私のもとに通い続けてくれたら愛を受け入れましょう」と言いました。
それ以来、深草少将は一日も休まず小野小町のもとに通い続けます。
99日通った深草少将は100日目の夜大雪に見舞われ道中で倒れ死んでしまい、結局二人の恋は実らなかったのです。
なんて悲しい話…。
99日通った深草少将が道中で腰をかけて休んだという石がこちらでご神体として祀られているのです。
ちなみに深草少将は伝説上の人物で、実際には僧正遍昭か大納言義平の子、義宣ではないかと言われています。
この日は本当にいい天気!快晴の空のもと鴨川沿いを歩きます。
次は小野小町ではなく、小野篁という人物が祀られているお寺を参拝します。
六道珍皇寺
六道珍皇寺は平安時代初期に創建されました。
六道とは、
地獄道
餓鬼道
畜生道
修羅道
人道
天道の
六つの世界を意味します。
ここ六道珍皇寺はその六道の分岐点で、あの世とこの世の境に建立されたということなのです。
ここに祀られている小野篁は小野小町の祖父、もしくは叔父ではないかといわれています。
小野篁は大変有能な人物で、平安時代初期に嵯峨天皇を始め三代続けて天皇に仕えました。
そして篁のもう一つの顔は、閻魔大王に仕える役人でもあったのです。
昼は朝廷で働き、夜になるとこの六道珍皇寺の井戸から地獄に通っていたといわれています。
境内には地獄に行く井戸と現世に戻ってくる井戸が残されています。
篁はこの井戸を通じてあの世とこの世を行き来していたそうです。
六道珍皇寺からさらに南へ3キロ。
小野小町は世界三大美女のひとりと言われているけど、あとふたりは誰か知ってる?
はい、吉永小百合さんと森光子さんですよね。
お二人とも美しいけど全然違うよ!
やって来たのは世界三大美女の一人楊貴妃ゆかりのお寺です。
泉湧寺
楊貴妃の死後に中国でその死を悼みつくられた仏像が1230年ごろ日本にやってきました。
その仏像が江戸時代に入ってから楊貴妃観音像と呼ばれ始め多くの信仰を集めたそうです。
以前は長い間秘仏だったということで保存状態がとても良いそうです。
現在は美しくなれますようにと美人祈願に訪れる方が多いのだそうですよ。
泉湧寺を出てさらに南へ向かいます。
京都市東山区から山科区へは最短ルートの山越えです。これがけっこう大変でした~。
山を越えてしばらく歩くと、おばあさんが自動販売機で買ったドリンクを取り出すことができずに困っていました。
ドリンクを無事に取り出すことができおばあさんも喜んでくれました!いや~、よかった、よかった。
歩いているといろんな出会いがありますね。
時刻はそろそろ正午、この界隈で有名なうどん屋さんがあるということなのでそこで昼食をいただくことにしました。
超具だくさんなスタミナうどん!麺はもちもちで食べ応え満点でした。
うどん村を出て再び歩き、いよいよ今回の修行場隨心院が見えてきました。
隨心院
991年創建の隨心院。宮仕えを終えた小野小町が余生を過ごした寺とされています。
過去に「西国三十三所巡礼編」で隨心院を訪れたことがあります↓
小野小町ゆかりのお寺ということですが、実は百人一首で有名なあの短歌はここで詠まれたそうです。
花の色は 移りにけりないたづらに わが身世にふる ながめせし間に
そして本堂にはとても華やかな屏風が!
これはだるま商店という二人組の現代アーティストの作品です。CGと筆などを使い昔の絵をポップに仕上げています。
さあ、いよいよ今回の修行写仏です。
一般的な写仏はその名の通り仏さまの姿を描き写すというものなのですが、隨心院では特別に小野小町を描くことができます。
隨心院での写仏は身口意といい体、口、心を清めるという意味があります。
小野小町の絵の上に半紙を置いてその姿を描くのですが、繊細な細い筆で描くので思った以上に難しいです。
くっすんは1時間、私河田は1時間30分かけて小野小町の写仏を完成させました。
描いている間はおのずと筆と半紙に集中し時間が経つのがあっという間でした。
日常生活ではいろんな情報が溢れかえりめまぐるしく物事が進んでいきます。
そんな日常から少し距離をおき、一心不乱に描くことだけに集中する。体験してみてとても有意義でしたし気持ちをリセットすることができました。
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