兵庫県三田市にやってきました。
スタート地点の三田本町は
江戸時代、交通の要衝として栄え
町家や商家が約1キロにわたり連なり
西国巡礼の宿場町としても賑わったそうです。
今回はここから約23キロ歩いて
播州清水寺を目指します。
三田城跡
まずやってきたのは三田城跡です。
ここには天守がなく
陣屋だけの小さな城だったそうです。
江戸時代初期に
ここを治めていたのは九鬼家です。
元々鳥羽を治めていた九鬼家は
織田信長や豊臣秀吉の
お抱えの水軍として活躍し
その名を全国に轟かせていました。
しかし、1633年に海がないここ三田に
国替えとなってしまいます。
海がなくては水軍を
維持することができません。
なぜ国替えになったのか。
実は力をつけすぎた九鬼家の水軍を
幕府が恐れて三田に移したのだそうです。
まるで漫画「課長 島耕作」の世界ですね。
そうなの!?
しかし当主の九鬼嘉隆は
城のすぐそばにある三田御池に舟を浮かべ
水軍の鍛錬を続けたそうです。
またいつか海に出て
水軍で活躍する日を
夢見ていたのかもしれません。
三田城跡から歩くこと約10分。
九鬼家が三田を治めることになってから
菩提寺となった心月院にたどり着きました。
現在も九鬼家歴代のお墓があります。
ご住職が境内を案内してくださいました。
心月院
あそこに大きな釜がありますね!
あの釜はね、「かまわんといて」という釜です。
中に金魚がいますよ。
あんまりのぞき込むと「きんぎょ迷惑」になりますから気をつけてください。
ご住職のテッパンネタですね!?(笑)
心月院は
第二次世界大戦後
日本の復興に尽力した
白洲次郎ゆかりのお寺でもあります。
白洲次郎の祖父退蔵は
九鬼家の家老を務めていていました。
そんな縁から
心月院には代々白洲家の墓が
建てられています。
日本で初めてジーンズを
履いたという白洲次郎。
さすが墓石もスタイリッシュですね。
続いてやってきたのは金心寺です。
金心寺は「三田(さんだ)」という
地名の由来が伝わっているお寺です。
金心寺
金心寺の御本尊は弥勒仏で
昭和7年に修復作業が行われました。
その時に弥勒仏の体内に
文字が書かれていることがわかったのです。
その体内には
「当地は松山の庄というが
これを金心寺三福田により三田と改む」
と書かれていました。
【三福田とは】
敬田 人を敬う心の田
恩田 恩を忘れない心の田
悲田 困っている人を助ける心の田
この三つを大切にするようにと
この土地の名を「三田」にしたそうです。
実はとても思いやりの気持ちがつまった
地名なんですねえ。
金心寺を後にして歩き続けます。
しかしこの日はほとんど人に会わず
誰ともお話しすることがありません。
いつもなら出会う人にけっこう声をかけてもらうもらうのにねえ。
そうですね、いつも皆さん気安く声をかけてくださいますよね。
それを言うなら「気安く」じゃなくて「気軽に」だよね?
そんなどーでもいい話をしていると
標高552メートルの御嶽山が見えてきました。
目的地の播州清水寺はこの山の頂上です。
すると郷原ディレクターが…
実は午後5時までに播州清水寺に着かないといけないんです。
えーーー!?
あと1時間しかありません。
もっと早く言ってくださいよ~
ここからは本格的な山道です。
しかも石がたくさん
落ちているような場所もあり
足場もかなり悪く
山頂まで登るのは一苦労です。
登り始めてしばらくすると
くっすんのペースが落ちてきました。
かなり辛そうですが、
くっすんを待たずに先に進むことにしました。
別に見捨てたわけではないんですよ!
午後5時までに着かなければならない
ということなんです!
山道の最後は石段があり
ようやく播州清水寺が見えてきました。
山の麓から約30分かかりました。
播州清水寺
無事に御朱印をいただいたところで
くっすんがようやく到着しました。
午後5時に間に合わすため
相当がんばったのでしょう。
かなりヤバイ顔で本堂に入ってきたので
お寺の皆さんは
ちょっとびっくりされていました。
御本尊に手を合わせると
不思議と山登りで疲れた体が
癒やされるような気がしました。
播州清水寺へは車か
JR相野駅前からバスで行くこともできます。
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