今回は関西を飛び出し東京へ!
東京都豊島区の巣鴨から埼玉県和光市の清龍寺不動院まで歩き心の中の煩悩を焼き尽くす護摩行を体験させてもらいます。
巣鴨地蔵通商店街
ここ巣鴨地蔵通商店街は日本橋(東京)と三条大橋(京都)を結ぶ旧中山道です。
日本橋を出発して最初の宿場が板橋宿なのですが、その手前の最初の休憩スポットがここ巣鴨です。
昔の旅人が宿場と宿場の間で休む集落を立場といいます。
巣鴨はその立場として昔から賑わい、現在は「おばあちゃんの原宿」と呼ばれるようになりました。
巣鴨から北上すると板橋区に入ります。「板橋」という地名の元になった場所を通ります。
実際に板橋を渡っているとくっすんがいなり驚いた様子で…
板じゃなくて、コンクリートでできていますよ?
板橋は元々くっすんが言うとおり板でできた橋でしたが、昭和に入り自動車の普及もあってコンクリート製の橋に架け替えられたそうです。
板橋を渡ってさらに北へ。ちょっと早めですがお昼ごはんにします。
この辺りで人気のラーメン屋さんでまぜそばをいただきまーす!
食感抜群のもっちもちの太麺が醤油だれにからみます。これはうまい!
まぜそばでお腹いっぱいになって巣鴨から歩くこと約10キロ。住宅地のど真ん中にある神社に到着しました。
北町浅間神社
ここ北町浅間神社には富士塚があります。
富士塚とは江戸時代に富士山を模して造られたものです。富士山のミニチュアといった感じでしょうか。
江戸時代以降、富士山を信仰する団体、いわゆる富士講が各地で結成されました。
しかし当時富士山まで行くのはとても大変なこと。なので富士山に行けない人たちのためにこの富士塚が造られたのです。
この富士塚、不思議なことに本物の富士山と比べてちょうど100分の1サイズ!
しかし、この富士塚を造った昔の人たちがどうやって計測したのかなど詳しいことはわかっていないんだそうです。
不思議ですよね~
そんな富士塚からさらに北へ歩くと埼玉県に入りました。修行場まであとちょっとです。
清龍寺不動院
清龍寺不動院は830年に慈覚大師によって創建された真言宗のお寺です。
そして護摩行は弘法大師が中国から日本に伝えた密教の修行のひとつ。
護摩の炎に不動明王が降りてきて煩悩を焼き尽くしてくれるということです。
私たち不動院の僧侶三人が力を合わせてしっかりとご祈祷させていただきます。
仙人、用心棒、ダンサーのトリオユニットみたいですね。
ちょっと、失礼なこと言わないで!
はっはっは~! 笑
お二人とも煩悩が多そうな顔をしてますなぁ
いや~、ありがとうございます!
ほめられてないで!
まず、護摩木に名前と願い事を記入します。
御本尊の不動明王が降臨されるよう護摩壇を清め般若心経と不動明王真言を唱えます。
手の甲と額を床につき三礼し、いよいよ護摩壇へ。
護摩壇に火が入りました。この時に驚いたのが、座る場所が護摩壇の炎まで近いこと!わずか50センチぐらいでしょうか。
徐々に炎が大きくなり猛烈な熱を感じます!熱くてもうこれ以上は近づくことができない、というギリギリの場所です。
そしてここからが本番です!
先ほど願い事を書いた護摩木を炎に入れ手を合わせます。
燃え上がる護摩の炎は不動明王の知恵を象徴し護摩木は煩悩を表すため108本燃やします。
人間が持つ煩悩、悩み、苦しみを不動明王の炎で焼き払ってもらいます。
ご住職が護摩木をくべる度に炎が大きくなり顔面の皮膚が焼けそうです。
熱くて苦しくても手を合わせ炎と向き合います。
約30分で護摩木が全て焼き尽くされて護摩行終了です。
護摩壇を離れると熱から解放され、どこか特別な場所から元の世界に戻ってきた気分です。
振り返ると修行の序盤はとにかく必死で苦しいのに耐えるばかりでした。
しかし、しばらくすると苦しみの中で何も考えずただひたすら炎と向き合う時間があったように思います。
この「無心で炎と向き合う」を繰り返すことで、煩悩が焼き尽くされていくのかもしれません。
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