【粉河寺】西国三十三所・第三番札所(和歌山県紀の川市)

西国三十三所巡礼

今回は和歌山市から紀の川市を歩く旅。
スタート地点は
紀の川に架かる紀州大橋です。

紀州大橋

とても穏やかな流れの紀の川

昔は紀の川から瀬戸内海、そして九州へと
日本で最も穏やかで
安全な海運のルートとして栄えました。

昔は渡し船で紀の川を渡っていました

紀州大橋から歩くこと約3キロ、
到着したのは松下幸之助生誕の地です。

松下幸之助生誕の地

松下幸之助生誕の地

世界のパナソニックを
一代で築いた松下幸之助さん。
そんな松下さんはここ和歌山市禰宜で
生まれました。

そこには樹齢数百年の松の木が。
元々松下幸之助さんの先祖が
この松の木の下に家を構えていたことから
「松下」という性をつけたのだそうです。

枯れてしまった松の木を今でも大切に残しています

再び歩き始めたのが大和街道です。
奈良時代に
都と諸国を結ぶルートとして整備されました。
江戸時代には
参勤交代で大名行列も通ったそうです。

多くの旅人が歩いてきた大和街道

そんな大和街道を少し外れたところに
井戸を発見しました。
弘法大師の井戸」と呼ばれています。

弘法大師の井戸

住宅地の真ん中に祠をみつけました
井戸には今も水が湧いています

その昔、弘法大師が旅をしていて
この場所を訪れたそうです。
この時弘法大師
大変のどが渇いていたのですが
水がなくて困っていました。

すると近所のおばあさんが弘法大師
水を持ってきて飲ませてくれたのです。

これに大変感激した弘法大師
持っていた杖で地面をトントンと叩きました。
すると、不思議なことに
地面から水が湧き出したのです。
それがこの「弘法大師の井戸
というわけです。

くっすん
くっすん

だったら最初から杖で地面をトントンして水を飲んだらよかったんじゃないですか?

河田
河田

そんなもっともなことを言うのはやめて、これは伝説なので。

くっすん
くっすん

でも、弘法大師って当時キムタクさんみたいな人だったんでしょうね。

河田
河田

…ごめん、ちょっとわからへんかったわ。どういう意味?

くっすん
くっすん

みんなが大好きで、あこがれてる存在っていう感じですよね!

河田
河田

えっと~、
そーゆーことなんかなぁ~

読者の皆さんはお気付きだと思いますが
このやり取りは本当に無意味ですよね。

でもこの無意味なやり取りから
たまーに予想外の展開に
つながることがあるんです。

100回に1回ぐらい…
打率ひく!!

歩くこと22キロ、
さすがに疲れてきたので
空き地を見つけ休憩させてもらいました。
昔の旅人は一日に40キロは歩いたそうです。
すごいな~

いつもこんな感じで休憩しています。周りの人から白い目で見られることもあります。

スタートから10時間半。
大きな山門が見えてきました。
やっと粉河寺に到着です。

粉河寺

朱色の大門が見えてきました
総欅造りの大門
一重屋根の礼堂と二重屋根の正堂が結合した構成の複合仏堂

粉河寺は西国札所最大の本堂で
御本尊は永遠の秘仏です。

  • 宗派  粉河観音宗
  • 開祖  大伴孔子古
  • 創建  770年
  • 御本尊 千手千眼観世音菩薩

そしてここにはお釈迦様の元で修行をした
鬼子母神(きしもじん/きしぼじん)が
お祀りされています。
500人の子供を産んだという
鬼子母神にお参りすると
子授けと安産に
ご利益があると言われています。

鬼子母神像

しかし、鬼子母神には
人間の赤ちゃんを食べてしまうという
恐ろしい話が…。

それを知ったお釈迦様は
鬼子母神の子供を取り上げてしまいます。

自分の子供を取り上げられたことで
鬼子母神は母の悲しみを知り
世の中の子供を救うとお釈迦様に誓いました。

右手にざくろ、胸元に赤ちゃんを抱く鬼子母神

お釈迦様は鬼子母神
子供をもう食べてはいけない、
その代わりにざくろを
食べなさいと言いました。
それで鬼子母神は右手に
ざくろの実を持っているのです。

ちょっと恐いお話ですが
母親の子を思う気持ちが
伝わってきますね。

粉河寺の御朱印

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