今回はスペインから大移動です。約8200キロ離れたネパールへ!標高が高い地域を長距離歩くので苦労しそうです。
ネパール
首都 カトマンズ
人口 約2900万人
公用語 ネパール語
通貨 ネパール・ルピー
カトマンズ
首都のカトマンズは雑然としていてるんだけど活気に満ちあふれています。ここまで訪れてきた南米、アフリカ、ヨーロッパの国々と全然違う空気が流れているように感じました。
大勢の人たちが忙しなく動き交通量も多く、辺りで大きな声やクラクションの音が鳴りやみません。とにかく賑やかです。
せっかくなので本場のネパール料理をいただくことにしました。ちょうど店先で何やら調理しているのでのぞいてみると…
日本でもよく見るこのフォルム!これ餃子じゃないんですか!?店主に聞くとこれはモモというネパール料理なんだそうです。「1皿くださーい!」
日本の餃子と違うのは、皮がかなり分厚くて、具は水牛のモモ肉を使っていること。さらにスパイスがかなりきいています。これはうまい!
続いてレストランでいただいたのが今まで見たことがないこちらのネパール料理です。
なんと、水牛の脊髄!
脊髄と聞いてびっくりしたのですが、恐る恐る食べてみると、これがとても美味しかったんですよ~!こちらもスパイスで味付けしていて噛むと中はとろとろ、白子のような食感でした。
ネパール料理で腹ごしらえができたところでいよいよ本題です。
今回の目的地はエベレスト山頂が見える場所、標高3880メートルのシャンボチェという町です。まずはカトマンズから飛行機で30分、標高2800メートルルクラに向かいます。
この小型プロペラ機ですが、座席数が少ないしせまいし日本では乗ったことがないような飛行機です。プロペラが回転しだすと振動が座席にめちゃくちゃ響きます。しかも操縦席のドアがなくて丸見え!大丈夫なんかこの飛行機!?そんな気持ちのままテイクオフ。
なんだかこの飛行機がとても頼りなく思えて離陸してからずーっと不安だったのですが、数十分すると機体が徐々に傾き着陸態勢に。「もう着陸か、あ~良かった」と安堵していると操縦席の窓から空港が見えてきました。
あれ、滑走路短くない!?
実はルクラの空港は世界一危険な空港と呼ばれているんです。なぜかというと滑走路の全長が527メートルしかありません。これめちゃくちゃ短いんですよ!
関西の空港の滑走路の長さは以下の通りです。ルクラの空港の滑走路がいかに短いかわかります。
関西国際空港 第1滑走路 3500m
第2滑走路 4000m
伊丹空港 第1滑走路 1828m
第2滑走路 3000m
神戸空港 2500m
しかも滑走路が超短いだけでなく両端は崖と絶壁!過去に何度か死亡事故が起きています。着陸の瞬間は緊張しました~。
ちなみに空港名はテンジン・ヒラリー空港です。これはエベレスト初登頂に成功したニュージーランド人の登山家エドモンド・ヒラリーと、ネパール人(シェルパ族)のテンジン・ノルゲイの名前からきています。
ルクラ
空港は大勢の人で賑わっていました。観光でやってきた登山者や物資を運ぶ人たちです。物資を運ぶ人は帯のようなもので荷物をしばり、自分のおでこに掛けて歩きます。
この辺りの道は幅がせまく当然舗装もされていません。ですから移動は基本的に徒歩ですし、物資などは人かヤクが運びます。ヤクは牛の仲間で高地に生息している動物です。
さあ、ここから歩いて目指すのはエベレストの山頂が見える場所シャンボチェです!シャンボチェにホテルエベレストビューというホテルがあるのですが、そのテラスからエベレストの山頂を見に行きます。
距離は約15キロですが、ルクラが標高2840メートルで、シャンボチェが標高3880メートル。高低差でいうと約1000メートル登ることになります。二泊三日でゴールを目指しますのですがこれはかなりきつそうです。
今回歩く道はエベレスト街道、険しい山道を登るのに地元のシェルパ族の方々に協力してもらいます。シェルパの皆さんは登山者のガイドやサポートをして生計を立てている方が多いそうです。
今回はシェルパ族の方3人とヤク2頭に荷物を運んでもらうことにしました。
登山初日は標高2610メートルの町パグディンを目指します!
道は岩や石が転がっていてとても歩きにくいのですが、シェルパの皆さんとヤクの歩くスピードが速くて驚きました。早歩きでついていくのがやっとです。
エベレスト街道を歩いていると現地の人たちとすれ違うのですが、やはり皆さん大きな荷物を背負ってすごいスピードで歩いていきます。できるだけ早く物資を届けなければならないからです。
私はというととにかく息が切れて苦しい…。
この旅では何度か高地を訪れました。ペルーのチチカカ湖(3800メートル)、クスコ(3400メートル)、マチュピチュ遺跡(2400メートル)ではやはり息苦しさを感じたのですが、今回は山道を登るのでさらにハードです。
ルクラから歩き始めて約1時間、最悪の展開です。ここにきて雨が降ってきました…。足場は悪くて歩きにくいし、濡れて寒いし、高地で呼吸が苦しいし…まだ序盤ですが、すでにしんどいです。
そして所々で渓谷を越えなければならないのですが、そこは吊り橋が架けられていてこれを渡ります。人間はともかく体が大きなヤクは大丈夫!?恐る恐る吊り橋を渡ります。
雨が降り続ける中歩き、だんだんと辺りが暗くなってきました。もちろん辺りに街灯はありませんから真っ暗です。
すると遠くに灯りが見えてきました!今夜宿泊する標高2610メートルのパグディンという集落です。いや~やっと着きました、体力的にはかなりきつかったです。
パグディン
パグディンのロッジで一泊し迎えた二日目の朝、幸い雨はやんでいました。雨が降っていないだけでもありがたい!昨日の疲れは残っていますが気力でエベレスト街道を再び歩き始めます。目指すは10キロ先のナムチェバザールという町です。
歩き始めて数時間、標高は約3000メートルを越えました。エベレスト街道を歩くネパールの人たちはこの日も早足で歩きとても元気です。そして様々な出会いがありました。
パグディンを出て歩くこと約7時間、雲の中に町が姿を現しました。山の斜面にこんな町があるなんて、とても不思議な光景です。ここがナムチェバザールです!
ナムチェバザール
ナムチェバザールは世界遺産に認定されているサガルマータ国立公園の中にある町で「シェルパの里」とも呼ばれています。登山家たちの拠点となる町です。
思っていたより町の規模が大きく、人も多くて本当に驚きました。宿泊施設はもちろん、売店やレストランもたくさんありましたよ。
ナムチェバザールのロッジで一泊し迎えた三日目の朝は快晴!!いよいよエベレスト山頂が見える場所まで行きます。
エベレストは雲が出ていると見ることができないのですが、この天気なら問題さそうです。
空気は冷たいのですが日差しは強く感じます。目の前の雲の隙間から標高7000メートルクラスの山々が。まるで別世界に来たようです。
この風景に見とれながら歩いていると、遠くから大きなエンジン音が!
手を伸ばせば届きそうなところを小型飛行機が飛んでいきました!実はこの近くにシャンボチェ空港があります。きっとそこから飛び立ったんでしょうねー。
でも、空港を見てみると全然整備されていなくて普通の広場って感じでした。
山の尾根を歩き続け、いよいよゴールのホテル・エベレスト・ビューが見えてきました!
ホテル・エベレスト・ビュー
ホテル・エベレスト・ビューは日本人の宮原巍さんという方が「もっと多くの人にこの景色を見てほしい、そしてネパールが観光で豊かになってほしい」という思いから建てられました。創業は1971年です。現在もフロントで日本語対応してもらえます。
さあ、エベレストは眺められるのか!?ここまで来るのにめちゃくちゃ苦労しました。エベレストを見るためにがんばってきたんです。お願いします、どうかエベレストの姿を見せてください!祈るような気持ちでテラスに出ると……
全然見えない。
目をこすっても、目を細めても全然見えません。かなり分厚い雲に覆われています。そんなに甘くはないんですねぇ。
こうなったら雲が流れてエベレストが姿を現すまで帰れません!しばらくテラスで待たせてもらうことにしました。
1時間が経ち、2時間が経ち…辺りが薄暗くなっても全く見えてきません。どうしよう。
いろいろ悩んで考えて相談して、結局もう一泊することにしました。この後の旅のスケジュールもあるので、もし明朝見えなかったらあきらめることにします。
そしてホテルエベレストビューで迎えた翌朝。テラスに出ると目の前にはこんな景色が広がっていました。
世界最高峰エベレストの山頂がはっきりと見えます!1953年5月29日にニュージーランドのエドモンド・ヒラリーとシェルパ族のテンジン・ノルゲイが、世界で初めて登頂に成功して以来、多くの登山家が目指した頂です。
この地球上で最も高い場所を眺めていると思うと不思議な気分で、ここまでの疲れを忘れてしまいます。
エベレストは標高8848.86メートルですが、実は以前より高くなっているのをご存じでしょうか。
とても不思議な話ですが、理由はまず大陸プレートの動きにより長い年月をかけてエベレストの高さが変化しているから。そして地震による影響もあるそうです。
さらにもう一つの理由は、エベレストがネパールと中国にまたがっているため、両国の測定方法と結果が違っていたからです。
両国間で議論になっていたそうですが、共同で調査をして公式に8848.86メートルと発表されました。
日本を出発して約1か月半。ここまでの旅で体力的にも精神的にも一番厳しかったですが、最後まであきらめなくて本当に良かったです。
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