【ペルー|クスコ・マチュピチュ遺跡・チチカカ湖】60日間ほぼ世界一周

ハワイ島から向かった二か国目は南米のペルーです!

首都のリマから飛行機に乗って約1時間半、標高約3400メートルの街クスコにやってきました。

クスコ

世界遺産の町クスコ
アンデス山脈の先住民が着ていた伝統的着貫頭衣のポンチョを着て散策します

ペルー共和国
首都  リマ
人口  3200万人
公用語 スペイン語
通貨  ソル

飛行機でいきなり高地にやってきたのでかなり体がしんどくて、スタッフは頭痛や吐き気といった高山病の症状が出てしまいました。

幸い私はちょっと息が切れるぐらい。比較的高地には適応しやすい体質なのかな?

クスコの中心地にある大聖堂

クスコは1200年ごろ~1500年ごろまで栄えたインカ帝国の首都だった街です。

インカ帝国は現在のペルーボリビアエクアドルチリアルゼンチンにわたる広大な土地を支配しました。

広大な土地を統治したインカ帝国
(ラテンアメリカ博物館提供)

ただ、インカの人たちは文字、鉄器、車輪などを使う文化や技術を持たなかったことがわかっています。

これらを使わずにどうやって文明を発展させて領土を拡大していくことができたのか、未だに多くの謎を残しています。いや~本当に不思議ですよね。

そんな神秘的な町クスコの市街地は1983年に世界遺産に登録されています。

この高度3400メートルになかなか体が慣れずちょっとふらふらしていますが、市場は活気があり様々な食料が売買されています。

活気が溢れる市街地
路上で様々な食料が売られています

ちなみに私たち日本人にとってなじみ深いジャガイモ、トマト、かぼちゃ、ピーナッツ、トウガラシはペルー原産の野菜なんですよ!

ここクスコから目指す次の世界遺産はマチュピチュです!ペルーレイルという列車で向かいます。

オリャンタイタンボ駅からマチュピチュ駅まで乗車します

この列車がとても豪華で乗り心地は最高でした。シートは大きくてゆったりと座ることができ、大きな窓があって景色を楽しめるようになっていました。

列車での移動はとても快適でした
アンデスの山々とウルバンバ川

のんびり景色を眺めたり、途中でスタッフの皆さんが民族衣装に着替えてパフォーマンスしてくれたり、なんやかんやであっという間の1時間30分、マチュピチュ駅に到着です!駅は大勢の観光客でとても賑わっています。

マチュピチュ

駅の利用者のほとんどが観光客でした

マチュピチュ遺跡の麓にあるマチュピチュ村には世界中から年間約150万人の観光客が訪れるそうです。

村にはレストラン、ショップやホテル、温泉施設などもあり大変な賑わい。もちろん夏のバケーションの時期というのもあると思うのですがそれにしても観光客の多いこと。

私は勝手に「マチュピチュは静かで落ち着いた雰囲気のミステリアスな遺跡」と思い込んでいたのですが、実際は全然違っていてかなり観光地化していました。

大勢の観光客で賑わうマチュピチュ村
観光客のほとんどが欧米の方でした
町中に温泉施設があります

ちなみにこのマチュピチュ村の初代村長はなんと野内与吉さんという日本人なんです!

野内さんは1920年頃にペルーにやってきて鉄道線路拡張工事に携わり、当時まだ未開拓の地だったマチュピチュを整備して定住されました。

ホテルを開業したりインフラ整備に尽力した功績が認められ初代村長に任命されたそうです。マチュピチュ村の初代村長が日本人だとは驚きました。

さあ、いよいよマチュピチュ遺跡に向かいます!遺跡へは村からバスが出ていて標高2000メートルの村から2400メートルの遺跡まで上ります。所要時間は約30分です。

バスに乗って遺跡に向かう人たち
郷原ディレクター
郷原ディレクター

せっかくなので遺跡まで歩いて登りませんか?

河田
河田

え、なんで?バスに乗ろうよ!

郷原ディレクター
郷原ディレクター

昔の人たちの苦労を体感しましょう

ということで渋々山を登ることに…。

バスに乗らず歩いて遺跡に向かうことに
村から4キロ、かなり厳しい山道です
だけど歩いたからこそ見られる景色もありました

標高が高くて息苦しくかなりしんどかったです。約3時間かかってしまいました。

そしてようやく遺跡にたどり着いて驚いたのはとにかく観光客が多いこと!!遺跡の敷地に入るには予約が必要で入場制限もあります。私が訪れた時の入場料は日本円で約5000円でした。

観光客の多さに驚きました
遺跡に入るのに大行列ができています

では早速遺跡全体が見渡せる場所へ。そこからの眺めがとにかく絶景でした!

坂道を上りビューポイントへ
世界複合遺産マチュピチュ遺跡

マチュピチュ遺跡は1983年に文化遺産と自然遺産の両方の要素をあわせ持つ世界複合遺産として登録されました。

石を組み合わせた建造物は住居、神殿、穀物貯蔵庫、段々畑、水路などとして使われたとみられていて、非常に高い石材加工技術と建築技術を持っていたようです。

精巧な石組みの建造物
「太陽の神殿」の壁面は曲線を描いています
山の斜面を効率よく利用するために造られた段々畑

インカ帝国は1533年にスペイン人に滅ぼされるのですが、山の上にあったマチュピチュは見つからず破壊されませんでした。

でもどうやってこの山の上に建造物を建築したのか?
どうやって石を加工したのか?
なんのために山の上に町をつくったのか?

未だに詳しくは解明されていないことばかり…。これがマチュピチュの魅力で大勢の人たちを惹きつけているのでしょうね。

ここに約1000人が暮らしていたといわれています

名残惜しかったのですがマチュピチュを離れ、ペルーでもう一か所訪れた場所があります。

マチュピチュから南東へ約400キロ離れたチチカカ湖という湖です。

チチカカ湖

チチカカ湖ペルーボリビアにまたがり、船が航行する湖としては世界で最も高い場所、標高3800メートルにあります。

チチカカ湖の60%がペルー、40%がボリビアです

この湖には世界的にもめずらしい浮島に暮らす人々がいるということでその浮島に渡りました。

ウロス島では10家族ほどが生活していました

行ってみて驚いたのがこの島はトトラと呼ばれる葦で造られた人工の島なんです!

全部あの細い葦でできてるだなんてすごくないですか!?島を歩いていても葦でできているとは思えないほどしっかりとしています。

でも、現地の人に聞くと風が強い日は流されてしまうこともあるそうです。

そして住居などの建物もほとんどがそのトトラでできています。

気さくに声をかけてくれる島民のみなさん
建物はほとんどがトトラでできています

チチカカ湖にはこのような島が約70ほどあり、大きな島には学校や病院もあります。

島には電気もガスも水道もありませんがソーラーパネルの太陽光発電で照明を使っていました。テレビを見ているお宅もありましたよ。

私たちを歓迎してくれたのはチチカカ湖で暮らすウル族の皆さん。インカ帝国が繁栄していた時代に、陸地を追われて湖で暮らし始めたというちょっと悲しい歴史があるそうです。

そんなウル族の島民の方が漁にでるということなので私も連れていってもらいました。

とても穏やかなチチカカ湖
投網で魚を捕ります
ペヘレイという魚が捕れました

網にかかったのはペヘレイという魚、島民の皆さんの主食だそうです。

油で揚げてもらい食べさせてもらったのですが、脂がのっててめちゃくちゃ美味しかったです!本当に予想以上の美味しさ!

油で揚げただけのシンプルな料理
ペヘレイの唐揚げ美味しかったです!

実はこのペヘレイ、1960年代に卵がアルゼンチンから日本に輸入されたことがあり、今でも関東の一部地域で獲れるんだそうです。いや~是非また食べたい!

そしてこの日はウロス島にホームステイさせてもらいました。

夜は気温が0度近くまで下がります。もちろん暖房はありません。

私はヒートテック、ジャージ、ダウンジャケット、民族衣装のポンチョ、ニット帽、手袋で防寒しまくって寝たのですが、それでも寒くてなかなか寝付けませんでした。

トトラで建てられた住宅にホームステイさせてもらいました

この島に一泊させてもらってとても印象的だったのは、島民の皆さんは本当に親切で優しい人ばかりだったことです。

もちろん観光が島民の生活を支えているわけではありますが、それでもあの大変温かいもてなしが今でもしっかりと記憶に残っています。

明朝拍手で見送ってくれた島民の皆さん
「ありがとうございました~!」

コメント

タイトルとURLをコピーしました