今回は第三十二番札所の観音正寺から
第三十一番札所の長命寺を目指します。
道中、西の湖という
琵琶湖の東側にある湖を
通るのですが、
ここでは船に乗って西側に渡ります。
地図では西の湖の北側を歩くルートが
表記されていますが
ここは歩かず船に乗っています。
観音正寺
観音正寺は山の上のお寺です。
聖徳太子が605年に
標高433メートルの繖山の山頂に
建立しました。
そしてここ観音正寺は
日本で唯一の人魚伝説が残されている
お寺なのです。
観音正寺創建前に聖徳太子は
琵琶湖から浮かび上がってきた
人魚と出会います。
ん!?
人魚って…
もしかして…
この人!?
いや~
びっくりしました。
今まで想像していた人魚と
全然違いますもん。
一般的には
アンデルセン童話の人魚姫とか
ディズニーのリトル・マーメイドとかの
イメージじゃないですか!?
何はともあれ
その人魚は聖徳太子に
こう話したそうです。
私は前世漁師であり、 殺生を業としていたため、 このような姿になりました。 繖山にお寺を建て、 どうか私を成仏させてください。
それを聞き入れた聖徳太子は
自ら千手観音の像を刻み
観音正寺を建立しました。
人魚にも様々な物語があるんですねぇ。
観音正寺を後にし
繖山を下ります。
のどかな風景を眺めながら歩いていると
目の前に安土山(標高199メートル)が
見えてきました。
安土城跡
1576年、織田信長は
この山の上に約3年の歳月をかけて
安土城を築きました。
城の外面は各層が朱色、青色、白、
そして最上層は金色だったといいます。
当時の最高の建築技術が用いられ
初めて本格的な天主が築かれました。
現代の建築物に例えると
地上6階、地下1階で、
大変規模が大きく
豪華絢爛なお城だったようです。
ちなみに一般的には「天守」と書きますが
安土城だけ「天主」です。
キリスト教の神様ゼウス=天主から
とったのではないかと
いわれています。
安土城跡からさらに西へ。
織田信長がキリスト教を
保護した足跡が残されています。
住宅地を歩いていると
石碑を見つけました。
「セミナリヨ趾」と刻まれています。
セミナリヨ趾
セミナリヨとは
ポルトガル語で神学校を意味する言葉です。
1581年、織田信長の庇護を受け
イタリア人宣教師のオルガンチノによって
設立されました。
建物は3階建ての豪華なもので
諸国から集まった二十数人の少年たちが
ここに寄宿し勉学に励みました。
音楽の授業では賛美歌を歌うなど
近代教育に近い教育が
行われていたようです。
1582年の本能寺の変で織田信長が討たれ、
明智光秀が侵攻。
その動乱によりセミナリヨも焼失しました。
ですからわずか1〜2年しか
運用されなかったことになります。
セミナリヨ趾から歩くこと約1キロ、
湖が見えてきました!
これは琵琶湖の西側にある西の湖で
琵琶湖につながっています。
こんな感じで↓
ここからは昔の人と同じように船に乗って西の湖を渡りましょう
いいですねえ!
この船でお願いします
なんでやねん!!
昔の人と同じように手こぎ船でお願いします
そんなん無理~~
一応がんばってみましたが
全然前に進みませんでした。
全然だめですね。
ではこっちの船でいきましょう。
最初からこれでいいやん!
この日の西の湖はとても穏やかです。
三十三所巡礼で船に乗るのは
宝厳寺の時以来。
「やっぱり船は快適だな~」と
昔の旅人たちも
話していたんじゃないでしょうか?
船の進む先にたくさんの杭が見えてきました。
実はここ西の湖と琵琶湖では
昔から真珠の養殖が行われているのです。
最盛期には100軒ほどの養殖業者が
真珠の生産をしていましたが
現在も養殖しているのは
わずか数軒です。
海水での養殖とは違い
真珠は形が不揃いで色も様々。
これが琵琶湖真珠の魅力です。
西の湖の西岸で船を降り
再び歩き始めます。
琵琶湖のそばののどかな風景の先に
808段の石段が。
ここが長命寺です。
長命寺
長命寺山(333m)の
標高約250mの山腹にある長命寺。
808段の石段を上りきるのは大変です。
途中で休憩して
なんとか本堂までたどり着きました。
御本尊の千手十一面聖観音をはじめ
十一面観音・毘沙門天など
多くの国指定の重要文化財が
安置されています。
また境内から琵琶湖を
見下ろすことができます。
きっとこの景色は
今も昔もほとんど変わらないんでしょうね。
コメント
ゴムボートで渡れ!はなかなか鬼ですね~笑
更新お疲れ様でした!
そうなんですよ~!この企画のディレクターは、たまにめちゃくちゃなことを言い出します笑