【石山寺】西国三十三所・第十三番札所(滋賀県大津市)

西国三十三所巡礼

琵琶湖のそばを歩く旅、
芦浦観音寺から石山寺を目指します。

芦浦観音寺からスタートします

芦浦観音寺

一見お城のような外観の芦浦観音寺
これは安土桃山時代から江戸時代にかけて
芦浦観音寺が政治的に大きな力を
持っていたからだそうです。

石垣やお堀がありまるで城のような外観です
芦浦観音寺の書院

特に当時の住職が豊臣秀吉から信頼され
琵琶湖湖上交通の管理、監督を担う
船奉行に任命されました。

そんな芦浦観音寺から南へ約6キロ、
草津市内を歩きます。

草津市内の住宅地を歩きます

草津名物をおよそ400年作り続ける
お店に立ち寄ります。
その名物というのがうばがもちです。

うばがもちや本店

「草津名物うばがもち」という大きな看板を発見
とても趣のある建物の本店にお邪魔します

1500年代後半、
ここ草津を治めていた佐々木義賢
織田信長に滅ぼされます。

その時に佐々木義賢
自分のひ孫だけは助けたいと
乳母にひ孫を託し逃がします。

その乳母はここ草津に密かにとどまり
餅を売ってそのひ孫を育てたそうです。
そこからうばがもちという
名前が付けられました。

約400年の歴史があるうばがもち。地元草津産のもち米でつくった餅をこし餡で包んでいます。

その後徳川家康
このうばがもちを大変気に入り
その名が全国に知れ渡り、
近松門左衛門の浄瑠璃や
歌川広重の浮世絵にも登場します。

歌川広重の浮世絵にも「うばがもちや」が描かれています(国立国会図書館所蔵)

うばがもちや本店を出て歩いていると
赤ちゃんを抱っこした
奥様に声をかけていただき
一緒に記念撮影することに。

私たちを見つけて声をかけてくださった親子
奥様
奥様

河田さん、いつも応援してますよー!

河田
河田

ありがとうございます!

奥様
奥様

クラモチさんもがんばっていらっしゃいますね!

くっすん
くっすん

クラモチさん??
僕のことですか?

名前を間違えられやすいくっすんは
今まで「くっさん」「ぐっさん」
「くすさん」と呼ばれたことがありましたが
「クラモチさん」は初めてでした。

彼は楠雄二朗、通称くっすん
またU.K.とも名乗っています。
以後どうぞお見知りおきください!

よろしくお願いします!

草津は昔大きな宿場町でした。
というのも
東海道中山道が交わる場所で
大勢の人が行き来したからです。

東海道中山道の合流地点に
追分道標と呼ばれる
道しるべが設置されています。

この街道を常に往来する人々の寄進によって建てられたと伝えられています

「右 東海道いせみち」
「左 中仙道美のぢ」と刻まれています。
ん?「美のぢ」って何だ!?

これは「美濃路」のことで
東海道から中山道を結ぶ
街道のことを意味しているそうです。

そしてその追分道標のそばにあるのが
草津宿本陣です。

草津宿本陣

草津宿本陣

本陣とは公家、大名、幕府の役人など
身分の高い人たちが宿泊するための施設です。
建物は玄関、書院、門構(もんがまえ)を
備えているのが一般的です。

広々とした畳廊下。宿泊人数が多いときはここも部屋として使われました。
上段の間は一段高くなっていています

1865年には新選組の隊士が
宿泊した記録が残されています。

新選組は江戸で隊士を募集し、
新しい隊士を引き連れ京都に戻る途中で
土方歳三ら幹部4人を含む
合計32人が宿泊したという
記録が残されています。

草津本陣に宿泊した人の名前の記録が展示されています
「新選組 土方歳三、斎藤一、伊東甲子太郎、藤堂平助」と記載されています

本当に丁寧に保存、管理されているので、
一歩中に入るだけで
当時の雰囲気を味わうことができます。

目の前に大きな橋が見えてきました。
草津と大津を結ぶ近江大橋です。

少しアーチ状になっているのがわかりますか?

1974年(昭和49年)に開通した
全長約1.2キロの橋で
実は緩やかなアーチ状になっています。

今回はこの橋を渡らずに
この「昔の人は偉かった」
ふさわしい橋を渡って
石山寺まで歩くことにしました。

瀬田川沿いを南へ。

南へ約3キロ行くと
もう一つの橋が見えてきました、
これが瀬田の唐橋です。

瀬田の唐橋

瀬田の唐橋が見えてきました
近江八景図「瀬田夕照」(国立国会図書館所蔵)

その昔、
東から京都に向かうには
草津の矢橋(やばせ)から大津まで
船で琵琶湖を渡るのが最速ルートでした。

ところが比叡山から吹き下ろす風が強くて
危険な航路だったため、
急ぐなら遠回りして
瀬田の唐橋を渡るほうが良いと
言われたのです。

さらに当時こんな短歌も詠まれました。

もののふの
矢橋の船は速けれど
急がば回れ
瀬田の長橋

「急がば回れ」ということわざの語源は
この唐橋というわけです。

ちなみに瀬田の唐橋
宇治橋(宇治市)、
山崎橋(大山崎町)とならび
日本三古橋のひとつなんだそうですよ。

昔は「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた軍事と交通の要衝です

唐橋を渡って瀬田川沿いを
さらに歩くと石山寺に到着です。

石山寺

重要文化財の東大門
国宝の本堂
御本尊の如意輪観世音菩薩は秘仏です
  • 宗派  東寺真言宗
  • 開祖  良弁僧正
  • 創建  747年
  • 御本尊 如意輪観世音菩薩

平安時代に観音信仰が広まり
これが貴族の間でも流行しました。
石山寺を参詣していた紫式部
源氏物語を起筆した話は
広く言い伝えられています。

御本尊は秘仏で
ご開帳は33年に一度、
もしくは天皇ご即位の翌年と
されています。

石山寺の御朱印

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