大阪府茨木市の宿場町から
箕面市の勝尾寺に向かう旅路、
約15キロ歩きます。
郡山宿
![](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/vlcsnap-2021-10-02-20h40m42s710-1024x576.jpg)
出発地点は郡山宿で
西国街道に面しています。
江戸時代には参勤交代の大名行列も
ここを通ったそうです。
茨木市から箕面市に入り
閑静な住宅地を歩いていると
二人の奥様に
声をかけていただきました。
![](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/13C34EBC-2C93-41AA-A91F-DB4DEBA0D7CF-1024x576.jpeg)
その奥様たちは
くっすんに向かって…
![奥様A](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/youngwoman_45.png)
コマ梅田さんですよね?
![河田](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/09/99564421-A51D-4F45-A90C-21715B8F03F8.jpeg)
コマ梅田??
![奥様B](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/12103A36-AA8B-4590-9DB4-63A4FBEBE165-150x150.png)
以前コマ梅田って呼ばれてませんでしたか?
![コマ梅田](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG-4938-150x150.jpg)
…はい、コマ梅田としてテレビに出ていた時期があります。
![河田](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG-4936-150x150.jpg)
えー、そうなの!?全然知らなかった~!ちなみにコマ梅田って何なの?
![コマ梅田](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG-4938-150x150.jpg)
宮根誠司さんが司会されている番組に出させてもらっている時に、宮根さんに命名されたんです…。U.K.だけに Koma Umeda って。
![河田](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG-4936-150x150.jpg)
なるほど~!くっすんはU.K.というタレント名もあるもんね。じゃあこれからはコマ梅田で!
![コマ梅田](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/09/338867E3-00CC-453C-A298-AE878B98589B.jpeg)
やめてください~!!その番組を卒業する時にコマ梅田も卒業したので!
くっすんにとっては触れられたくない
過去だったようです。
そんなことを言いながら歩き続け
やってきたのは萱野三平旧邸です。
萱野三平旧邸
![](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/vlcsnap-2021-10-03-09h06m42s906-1024x576.jpg)
萱野三平はあの赤穂浪士の一人です。
赤穂藩主浅野内匠頭が江戸で
切腹させられたことを知らせるため
萱野は江戸から
地元赤穂藩まで走りました。
その道中自分の自宅の前、
ここ萱野三平旧邸の前を通ります。
すると自宅で葬式が営まれていました。
それはなんと萱野の母親の
葬式だったのです。
思わず自宅に
駆け込もうとした萱野ですが
そこをぐっと堪えて
走り続けることにしました。
自分の身内の不幸よりも
赤穂藩の一大事を
早く伝えることを
優先したのです。
江戸から赤穂まで
約750キロの道のりを
萱野は1週間で
駆け抜けたそうです。
スタート地点から
約10.5キロ歩きました。
到着したのは教学寺です。
教学寺
![](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/vlcsnap-2021-10-03-09h08m26s088-1024x576.jpg)
教学寺は皆さんお馴染みの
ある飲み物発祥の地なんです。
それはなんとカルピス!
明治時代のお話です。
当時の住職の長男で
三島海雲という
人物がいました。
海雲は日本語の教師で
日本語を教えるために
中国に渡ります。
そこで出合ったのが酸乳でした。
酸乳とは馬の乳を
乳酸菌で発酵させた飲み物で
飲むと美味しくて
しかも胃腸の調子が
とても良くなったそうです。
帰国した海雲は
この乳酸を世に広めようと
1919年(大正8年)に
商品化に成功。
それがカルピスです。
戦後には栄養補給品として
重宝されたそうですよ。
![](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/vlcsnap-2021-10-03-16h44m39s030-1024x577.jpg)
教学寺を出て再び歩き始めました。
そろそろお昼ご飯の時間です。
![河田](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/09/C5161DA5-4E58-4786-B85C-8345E04EF73D.jpeg)
ファミレスにする?それともラーメンにする?コマ梅田は何食べたい?
![コマ梅田](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/09/vlcsnap-2021-09-26-13h45m25s940-2.jpg)
コマ梅田はやめてくださいっ!!そうですねえ、何にしましょう?
その時です!!!
私たち二人の目に飛び込んできたのは、
なんと!
![](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/vlcsnap-2021-10-03-09h35m19s162-1024x576.jpg)
![](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/vlcsnap-2021-10-03-09h12m38s202-1024x576.jpg)
「COFFEE HOUSE Koma」!!
なんという奇跡的な
出合いでしょう!
店先で思わず
「コマ~~~!」と
叫んでしまいました。
![河田](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/09/C5161DA5-4E58-4786-B85C-8345E04EF73D.jpeg)
お昼ごはんはここに決定やね!!
![コマ梅田](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/09/32110620-EB40-4465-9635-CF8404793965.jpeg)
koma!?すごい偶然!!
それにしても
こんな偶然あるんですねぇ~!
ブログでは伝わりにくいのですが、
現場ではあまりに
タイミングが良すぎて
撮影スタッフもみんな
めちゃくちゃ
盛り上がってしまいました(笑)
![](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/vlcsnap-2021-10-03-09h44m07s062-1024x576.jpg)
お昼ご飯を終えて
さらに箕面市内を歩き続けると
箕面山(標高352m)が
見えてきました。
ゴールの勝尾寺は
山の向こうです。
その箕面山の麓の
瀧安寺にも立ち寄ることにしました。
瀧安寺
![](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/vlcsnap-2021-10-03-09h45m41s789-1024x576.jpg)
![](https://mukaera.com/wp-content/uploads/cocoon-resources/blog-card-cache/0bd417f2b5a67dc54ffda2cba6dc3f9f.jpg)
この瀧安寺は
宝くじ発祥の場所と
言われています。
安土桃山時代のお話です。
お寺に奉納金を納めた人の
名前を書いた札を箱に入れて
箱の中を槍で突いて
刺さった札に書かれた
名前の人はお守りを
受け取ることができる
という行事がありました。
![](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/摂津名所図絵.webp)
これが江戸時代以降はお守りではなく
奉納金の一部が貰えるようになり
「富くじ」と呼ばれるように
なったそうです。
それが時を経て
宝くじになったのです。
瀧安寺から歩くこと約40分、
見えてきました箕面の滝です!
箕面大滝
![](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/vlcsnap-2021-10-03-09h51m18s402-1024x576.jpg)
関西屈指の名瀑箕面大滝は落差が33m。
その昔、箕面山で修行する行者たちは
この箕面大滝を、仏さまと融合し
救われる場所と信じてきました。
箕面大滝を越えると
ここからはいよいよ
本格的な山道です。
勝尾寺まで約4キロの道のり。
![](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/vlcsnap-2021-10-03-09h53m18s918-1024x576.jpg)
道はかなり険しく
休みながら歩き続けました。
道中くっすんが
泣き言いったり、
倒れ込んだり、
いろいろありましたが…
そのあたりは割愛しますね。
山道を歩くこと約1時間、
ついに見えてきたのが
勝尾寺の山門です!
勝尾寺
![](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/vlcsnap-2021-10-03-16h24m03s991-1024x576.jpg)
その山門をくぐると
とても広大な美しい境内が広がっています。
池に架けられた橋を渡ると、
辺りからミストが立ちこめる演出も!
幻想的です~!
![](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/vlcsnap-2021-10-03-16h23m24s320-1024x576.jpg)
![](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/vlcsnap-2021-10-03-16h25m08s611-1024x576.jpg)
![](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/vlcsnap-2021-10-03-16h24m39s459-1024x576.jpg)
![](https://katsuo-ji-temple.or.jp/wordpress/wp-content/themes/custom_theme/img/default.png)
勝尾寺というお寺の名前には
言い伝えがあります。
平安時代に清和天皇が
病にかかってしまい
寺の住職がご祈祷されたそうです。
すると天皇の病は
みるみる回復したことから
「王の病に勝った寺、勝王寺」と
命名されたのです。
しかし、寺側はあまりに畏れ多いと
「王」を「尾」に変えて
「勝尾寺」と称する様に
なったそうです。
それ以来「勝運の寺」として
広く信仰されるようになりました。
転んでも起き、己に打ち勝つ
「七転び八起きの精神」。
その精神と勝運信仰の歴史が
一体となったのが
「勝ちダルマ」で
境内のいたるところで
目にすることができます。
![](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/vlcsnap-2021-10-03-09h56m45s421-1024x576.jpg)
![](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/vlcsnap-2021-10-03-09h55m46s886-1024x576.jpg)
![](https://mukaera.com/wp-content/uploads/2021/10/vlcsnap-2021-10-03-09h57m20s136-1024x576.jpg)
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