よくスポーツなどの勝敗に関わる局面で
「天下分け目の天王山」という表現を
耳にしますよね?
そんな天王山から歩き始めます。
天王山(標高270メートル)は
1582年に羽柴秀吉が明智光秀を攻めた際
この天王山を占領したので戦いを有利に進め
光秀を討つことができたといわれています。
天王山
秀吉はその後
この天王山にあった山崎城を改修し
大阪城が完成するまでの本拠地にしました。
その天王山の中腹にある
宝積寺におじゃましました。
宝積寺
宝積寺には秀吉が戦勝記念に建立した
立派な三重塔があるのですが
なんと一夜で建てさせたという話が
言い伝えられています。
さらに境内には
秀吉が腰を掛けたという石があり
「秀吉の出世石」と呼ばれています。
座ると秀吉のように出世できるそうですよ。
せっかくですので私も。
ちなみに宝積寺には
重要文化財の閻魔大王が祀られています。
目と目を合わせて
閻魔大王に心の中を見てもらい懺悔すると
心の汚れは消えるそうです。
天王山を下り西国街道を歩きます。
昔は都と福岡の太宰府を結び
西国の諸大名が参勤交代でも通る道でした。
京都府大山崎町から
大阪府島本町に入りました。
すると見えてきたのが
大きくて立派な建物。
国産ウイスキー発祥の地、
サントリーの山崎蒸留所です。
サントリー山崎蒸留所
サントリーの前身は寿屋という会社で
1907年に赤玉ポートワインを発売しました。
この赤玉ポートワインの
シンボルが太陽のマークで、
太陽の「サン」と
創業者鳥井信治郎さんの「鳥井」をあわせて
「サントリー」と社名を改めたのです。
1924年(大正13年)から作られている
サントリーのウイスキー。
今もその製法は変わらないそうです。
ウイスキーの試飲でほろ酔い状態ですが
先を急がなければなりません。
続いてやってきたのは水無瀬神宮です。
何やら大勢の人が集まっています。
水無瀬神宮
後鳥羽上皇に使えていた
水無瀬信成、親成親子が
1240年に建立しました。
水無瀬神宮は美味しい湧き水が有名で
大阪府下では唯一の
名水百選に選ばれています。
この日も大勢の方が
湧き水を汲みに来られていたのですが、
江戸時代には茶人千利休もこの水で
お茶をたてたそうです。
スタート地点から約14キロ、
きれいに整備された公園にやってきました。
ここは高槻城跡です。
高槻城跡
元々平安時代に建てられた高槻城ですが、
1573年に城主になったのが高山右近です。
高山右近は大変熱心なキリスト教を信者で
城内に天主教会堂を建設します。
宣教師ルイス・フロイスの記録によれば、
「大きな木造の教会堂と宣教師の宿舎を備え、
池のある美しい庭園の一角には
大十字架が建てられた」
ということです。
江戸時代に入ると
キリスト教を信仰することが禁じられ
右近は国外追放されます。
1615年にはマニラに渡った右近は
ほどなく病死します。
一国一城の主にまでなった
右近の最期は
とても寂しいものだったのですねえ。
高槻城跡を後にし
高槻市内を歩き続けます。
少しずつ日が傾いてきました。
天王山から歩くこと約14キロ、
夕陽に照らされた総持寺の本堂に到着です。
総持寺の御本尊は千手観音菩薩なのですが、
亀の上に立っておられる珍しい千手観音です。
総持寺
平安時代の貴族だった藤原高房はある時
淀川の橋のたもとで漁師たちに捕らえられた
亀を助けてやります。
その翌日、高房と高房の子山陰は
舟に乗って出かけるのですが
その時に山陰が誤って
船から転落してしまうのです。
全く姿が見えなくなってしまった山陰、
すると昨日高房が助けた亀が
背に山陰を乗せて現れたのです。
息子の命を救った亀に感謝した高房は
これを機に仏像をつくろうとしましたが他界。
その意思を受け継いだ山陰が
亀の上に立つ千手観音像をつくり
その仏像を御本尊とした
寺を建立しました。
それが総持寺なのです。
我々は生き物の命をいただいて生きています。そんな感謝の気持ちを込めて境内の池に生き物を逃がしにこられる方もいるんですよ。
そういえば、以前僕たちも歩いてる時に道で亀をみつけて池に逃がしてやったことがあります。
その時のお礼をまだいただいていないのですが…?
今日ここまで無事に歩いてこられたのがそのお礼なのかもしれませんね。
ご住職のおっしゃる通り
元気に歩けていることに
感謝しなければいけませんね。
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