【華厳寺】西国三十三所・第三十三番札所(岐阜県揖斐川町)

西国三十三所巡礼

西国三十三所の札所は
基本的に関西地方に点在しますが
今回は最も東の札所
岐阜県の華厳寺けごんじです。

大垣市のお寺から歩き始め
北へ約21キロ、
揖斐いび揖斐川いびがわ町を目指します。

スタート地点は安楽寺です。

安楽寺

安楽寺の本堂

593年に聖徳太子
標高53メートルの山頂に
建てたとされるお寺で、
現在は山の中腹に移築されています。

関ヶ原の合戦では
徳川家康が辺りを一望できる
山頂の安楽寺を本陣としました。

石碑に「関ヶ原合戦岡山本陣趾」と刻まれています
家康はここから戦況を見守っていたのかもしれません

関ヶ原で勝利を収めた家康
安楽寺に三つ葉葵の御紋を
使うことを許したのです。

門に刻まれた三つ葉葵の御紋

安楽寺から北上します。
我々が歩くこの道は
江戸から草津までをむすぶ中山道です。
その中山道の宿場跡にやってきました。

穏やかな街並みが続きます

赤坂宿

中山道の赤坂宿跡

ここ赤宿にはこんな逸話が残っています。

平安時代、奥州会津に
大口大領という男がいました。
大領は京の都まで行き
観音像を作ってもらい
その観音像を持って
故郷に帰る道中に
ここ赤坂宿に立ち寄ります。

すると不思議なことに
この赤坂宿で急に観音像が重たくなり
全く動かなくなってしまいました。

国立国会図書館所蔵

そして観音像はこう言いました。

「会津には行かない」

え!?
観音さまがしゃべったの!?
しかも会津に行ってくれないの!?
なんで!?
大領さん、かわいそう~
いろいろ思いますよね。

そして観音像は山の方へ
歩いていってしまったそうです。

この観音像は後に
華厳寺の御本尊として
祀られます。

我々も観音さまが歩いた道を
赤坂宿からたどります。

5キロほど歩くと
住宅や商店が軒を連ねる
穏やかな街並みが広がる
地域にやってきました。

すると、あるお店の奥から
「ガチャン!ガチャン!」
という大きな金属音が。
静かな住宅地に
その音が響き渡っています。

お店の前で足を止めて
恐る恐る中を覗いてみると
自転車屋さんの奥に男の人がいます。
何をしてるんでしょうか…?

お店の奥に男性がいます
河田
河田

すみませ~ん。何をされているのですか?

林さん
林さん

筋トレですよ!

くっすん
くっすん

すごい体!!

筋骨隆々の林さん

ここはハヤシ自転車
創業は明治40年という老舗です。

3代目の林正典さんは
筋トレが趣味ということで
100キロのバーベルを軽々と持ち上げます。
店の外まで聞こえていきた金属音は
このバーベルの音だったんですね。

100キロのバーベルを簡単に持ち上げる林さん

くっすんは50キロに
チャレンジさせてもらいました。

「うおおぉ~~~!!!」とものすごい雄叫びをあげるくっすん

もちろん1ミリも上がりませんでした。

河田
河田

僕たちは昔の人と同じように歩いて旅をしているんです。

林さん
林さん

すごいですね~!私も先日大垣まで歩いてみたんですが本当に大変でした。

河田
河田

ここから大垣まで10キロぐらいありますもんねえ

林さん
林さん

歩くのもいいけど、そんな時はやっぱり自転車ですね!

くっすん
くっすん

さすが自転車屋さん、商売上手~!

林さんとお別れして
さらに北へ進みます。
すると紅葉した美しい山が見えてきました。
この山を越えていきます。

美しい紅葉が目の前に広がっています
長い山道が続きます

山道で
登りきると「観音足跡の石」
見つけました。

観音足跡の石

赤坂宿から歩き始めたあの観音さまはここを通っていったようです
かなり大きな足跡です

赤坂宿「会津へは行かない」と言って
脱走した観音さまがここを通ったらしく
足跡が残されていました。
それにしても大きな足ですね。

そしていよいよ華厳寺が見えてきました!

華厳寺が見えてきました

歩き始めて約10時間、
最後は足が痛くて
引きずりながらゴールです。

華厳寺

華厳寺の本堂
御本尊の十一面観音は秘仏です
第三十三番札所・華厳寺
  • 宗派  天台宗
  • 開祖  豊然上人、大口大領
  • 創建  798年
  • 御本尊 十一面観世音菩薩

ここ華厳寺のご朱印は三つあります。

なぜかというと
花山法皇がご詠歌を
華厳寺の本堂満願堂笈摺おいずる
三つのお堂に納めたからです。

三つある華厳寺のご朱印

華厳寺は西国巡礼最後の札所。
満願成就した多くの巡礼者が
羽織っていた笈摺おいずるや杖を
ここ笈摺おいずるに奉納します。

おいずる堂
多くの笈摺が納められています

笈摺おいずるというのは
巡礼者が羽織る
袖がない白い衣のことです。

そしてこちらが約1000年前に
奉納された花山法皇
笈摺おいずると杖です。
とっても貴重な品を
特別に見せていただくことができました。

花山法皇の笈摺と杖

花山法皇といえば
西国三十三所巡礼
中興の祖と呼ばれた人物。

以前兵庫県三田市の
花山法皇ゆかりの
番外札所も訪れました。

現代では私たちのように
自由に三十三所を巡ることは
めずらしくありませんが、
昔の巡礼者は
第一番から第三十三番まで
順番に巡る人が
多かったようです。
その総距離は約1000キロ。

私たちが歩いたのは
巡礼路のほんの一部ですが、
それでも歩ききったという
大きな達成感があります。

西国巡礼の長い歴史の中で
大勢の巡礼者がここで
様々な達成感を味わったことでしょう。

コメント

  1. まさ より:

    10時間も歩かれていたとは~。
    これ、めちゃくちゃ面白くてものすごい人気ありましたし今でも復活希望の人多いと思うんですけど、やってる河田さんとくっすんは大変だったんですね、やっぱり。

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