今回は歩いて二か所の札所を巡ります。
まず一か所目は大津市の園城寺、
通称は三井寺です。
そして二か所目は上醍醐准胝堂、
醍醐寺のひとつのお堂が
札所になっています。
醍醐寺はちょうど桜が見頃、
楽しみです。
和田神社
スタートするのは
琵琶湖のそばの和田神社。
大きなイチョウの木がシンボルです。
関ヶ原の戦いで
西軍を率いて敗れた石田三成は
京都へ護送される途中、
一行はこの和田神社で小休止しました。
その時に三成は
このイチョウの木につながれたと
言い伝えられています。
そしてこの後
京都の六条河原で
斬首されるのです。
和田神社を出て
住宅地を歩いていると
遠くから笛と鈴の音が聞こえてきます。
音のする方へ行ってみると
なんと獅子舞の姿が。
すみませ~ん。皆さん何をされているのですか?
私たちは伊勢大神楽講社といいまして、この獅子舞で西日本を中心に各地をまわっているんです
江戸時代、多くの庶民は
伊勢参りに行きたいけど
実際には負担が大きく
なかなか行くことが
できませんでした。
そこで、伊勢神宮の神札を持ち
各地を巡ったのが
伊勢大神楽講社なのです。
「歩く重要文化財」とも言われています。
獅子舞には魔除けの力があるとされ
頭を噛んでもらうと
ご利益があるということなので
我々ふたりもお願いしました。
町中で偶然出会うことができた獅子舞、
なんだかご利益がありそうです。
住宅地を抜け
琵琶湖沿いを歩いていると
大きな常夜灯を見つけました。
ここが石場の渡しです。
石場の渡し
昔の人たちは
琵琶湖西岸のここ石場と
東岸の矢橋を船で
行き来していました。
ただ、船で琵琶湖を渡るのは
風が強く危険なので、
遠回りだけど
瀬田の唐橋を渡った方が
良いという意味で
「急がば回れ」という言葉が
生まれました。
ちなみに以前石山寺に行く時に
東側の矢橋の渡しにも行きました。
東海道から北国街道を歩いていると
山の中腹に瓦屋根が見えてきました。
三井寺まであとちょっとです。
園城寺(三井寺)
三井寺にはちょっと珍しい鐘があります。
それがこの弁慶鐘です。
「弁慶の引きずり鐘」とも呼ばれています。
その昔、比叡山の僧兵武蔵坊弁慶が
とても良い音がするこの鐘を
三井寺から
奪い去ってしまいました。
そして比叡山でこの鐘をついてみると
ゴ~ンという音ではなく
イノ~…、イノ~…、という音がしました。
鐘が三井寺に帰りたいと
訴えているのです。
これを聞いて怒った弁慶は
この鐘を谷底へ投げ捨ててしまいました。
乱暴なやつですね~
弁慶鐘には
無数の傷がついているのですが、
これはその時についたものなんだそうです。
弁慶の逸話はいろいろありますが
いつもパワフルなエピソードばかりですね。
三井寺の境内から
裏山につながる階段があります。
ここから峠を越えて
京都へ向かいます。
小関峠
この峠は小関峠と呼ばれ
近江から京都へ向かう旅人は
この峠を越えていったそうです。
道幅も狭くなかなか厳しい山道です。
小関峠を越えると
大津市から京都市に入ります。
目指す醍醐寺まであとちょっと。
醍醐寺に近づくにつれ
人が多くなってきました。
桜を見に来られた参拝客の方々で
賑わっています。
山門前からも桜が見えています!
醍醐寺
桜は満開、空は快晴、
美しい景色が
境内に広がっています。
醍醐寺の境内は
約200万坪と広大で、
笠取の山頂にかけて一帯を「上醍醐」
山裾を「下醍醐」と呼ばれています。
この企画で
長距離を歩くようになって
今まで以上に季節を肌で
感じるようになりました。
昔の人たちもきっと
この醍醐寺の桜を愛でて
春の訪れを
感じていたんでしょうね。
コメント
まさか河田さんが『昔の人は偉かった』のブログを書いていたなんて。。。と驚き、早速コメントした所です。
ちちんぷいぷい時代から河田さんとくっすんさんのお二人のコンビネーションが大好きで、録画をしては家族で楽しんで観ておりました。
ちちんぷいぷいが終了と同時にコーナーを観れなくなるショックは大きかったのですが、不定期で良いので単独番組としてまた『昔の人は偉かった』を観てみたいのは勿論の事、今までのシリーズがDVDや有料でも良いので配信しないかなぁ(家族や同じく視聴していた知人含む願い)。。。と、何時か叶えば嬉しいなぁと思いながらもコッソリ願っております。
ありがとうございます~!残念ながら今のところDVD化する予定がないので、このブログでお楽しみいただければと思います。ご期待にそえずすみません。