雨がしとしと降る中、
伊勢南街道の宿場町上市から歩き始めます。
今回は南法華寺、通称壷坂寺と
岡寺の二つの札所を巡ります。
吉野川沿いを歩き
立派な巨木を見つけました。
これが土田のケヤキです。
土田(つった)のケヤキ
ここから山を越え14キロ離れたところに
畝火山口神社という神社があります。
ここでは毎年7月に
でんそそ祭という行事が行われます。
そのでんそそ祭では神事に使う水を
吉野川から汲んで運ばなくてはなりません。
昔は12人の神官たちが14キロの道のりを
リレー方式で水を運んだのだそうです。
そんな神官たちを労って
神功皇后が植えたと言われているのが
この土田のケヤキなのです。
そんな話をしていると
新田ディレクターが
僕たち二人に差し出したのが…
ディレクター
昔の人と同じように吉野川の水を運んでみてください。12人の神官で14キロですから、1キロ運びましょう。
はぁぁ~~!?
はぁぁ~~!?
かなり抵抗したのですが
新田ディレクターに
うまいこと言いくるめられて
1キロの道のりを水を持って
歩くことになりました。
バケツ1杯の水ですが
これはかなりきつかったです。
スタート地点から歩くこと9キロ、
安産の滝が見えてきました。
安産の滝
江戸時代以降、妊婦さんがこの滝に打たれると
元気な赤ちゃんが産まれると
信じられてきました。
この滝の上流に
安佐谷寺(あさだにでら)というお寺があり、
「あさだに」が「あんざん」に
なったということです。
そんな話をしていると
新田ディレクターが
僕たち二人に差し出したのが…
ディレクター
昔の妊婦さんと同じように安産の滝に打たれてみてください。
はぁぁ~~!?
はぁぁ~~!?
かなり抵抗したのですが
新田ディレクターに
またうまいこと言いくるめられて
滝に打たれました。
滝に打たれてつらい思いをしてでも
元気な赤ちゃんに産まれてきてほしいという
赤ちゃんを思う妊婦さんの気持ち。
これは今も昔も変わらないのかもしれません。
ここからは山道、
高取山(標高584m)です。
雨がやんだのでペースアップして歩きます。
山頂を越えて下り坂にはいると
木々の隙間から立派な多宝塔が
姿を現しました。
南法華寺、通称壷阪寺です。
南法華寺(壷阪寺)
壷阪寺にはある夫婦にまつわる
お話が伝えられています。
その夫婦とは沢市とお里です。
沢市は盲目の三味線弾きで、
生活は貧しかったのですが
二人は大変仲が良かったそうです。
ただ沢市にはひとつだけ気がかりなことが。
それは明け方近くになると
お里がこっそり家を出て行くことが
度々あったのです。
沢市は「他に好きな男ができたのではないか」と
お里を問いただしたところ、
沢市の目の病が治りますようにと
壷阪寺にお参りにでかけていたと言うのです。
疑った自分を恥じ、
お里に苦しい生活をさせている
自分を責めた沢市は
壷阪寺の境内から
谷底へ身を投げてしまいます。
それを知ったお里も
沢市を追うように谷底へ。
二人のことを不憫に思った
観音様は二人を救い、
また沢市の目も治してやったそうです。
それ以来壷阪寺は眼病封じと夫婦円満に
ご利益があると言われています。
また本堂には沢市の杖が祀られていて
これをさわると夫婦仲が良くなるという
言い伝えがあるのです。
壷阪寺を後にし
高取山を下ること40分。
やっと麓まで下りてきたのですが、
ここで雨と風が強くなってきました。
高取町は江戸時代に
薬の生産で名を挙げた城下町で、
現在も薬局や製薬会社が
数多く残っているのです。
明日香村に入りました。
雨の中歩くのはとても大変で
思った以上に体力を奪われます。
そしてここで出ました
「昔偉名物くっすんの寝転がり」。
疲れのあまり場所を選ばす
どこでも寝転がります。
でもその気持ちもわかるぐらい
雨の中の旅は辛いものがあります。
気力を振り絞りラストスパート。
この日歩くこと11時間、
いよいよ最終目的地
岡寺が見えてきました!
岡寺(龍蓋寺)
岡寺は日本最初の
厄除けのお寺とされています。
そして御本尊の厄除け観音は
土でできたものとしては日本最大で
弘法大師がつくられたそうです。
ここ岡寺のもうひとつの名称は
龍蓋寺(りゅうがいじ)です。
岡寺をつくった義淵僧正が
明日香村を荒らしていた
悪龍を寺の池に封じ込め
石の蓋をして改心させたことから
この名がついたそうです。
今でも「石の蓋を揺らすと雨が降る」と
言われています。
もしかしたら、
この日は誰かが石の蓋に
触れたのかもしれません。
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