この西国三十三所巡礼シリーズで
もっとも高い山に登ったのが今回です。
愛宕神社第一の鳥居
京都市右京区の愛宕神社第一の鳥居から出発し
愛宕山(標高924m)の山頂にある
愛宕神社を経て、
山を下り穴太寺を目指すルートです。
第一の鳥居を出発して約500m
早速上り坂が見えてきました。
ここは試峠(標高186m)と呼ばれ、
この峠を登るのがつらければ
愛宕山は断念する。
昔の人は愛宕山を登ることができるかどうか
この峠で試みたそうです。
峠の頂上は両側が急勾配になっていて
見通せないため、
真上にカーブミラーが設置されていました。
めずらしいですよね~
歩くこと1.6キロ、いよいよ愛宕山です。
山頂の愛宕神社へは徒歩でしか
行くことができない上、
大変道のりが厳しいので
英語と日本語で注意喚起する
看板がありました。
くっすんはこの看板のメッセージを
しっかり受け止め引き返そうとするので
説得してから登り始めました。
愛宕山にはユニークな言い伝えがあります。
その昔、愛宕山と比叡山がケンカをしました。
それで比叡山が愛宕山をたたいて
タンコブができ
そのタンコブの分だけ愛宕山が高いのだとか。
さて山道を歩き始めて約30分、
山頂から下りてきたという男性に
声をかけていただきました。
いつもテレビ見てますよ~
ありがとうございますー!
西アナやね!
あっ、いえ、河田といいます…。
あ~、そうかごめん!
しばらくインドに取材行ってたねえ。
それは山中アナです~。
気を取りなおしてさらに登ること約20分、
また男性とすれ違いました。
こんにちは~!
よくテレビで山登って滝を紹介してるねえ!
それは上泉アナウンサーなんです~。
そうか、そうか、がんばってやー!
はっはっはっー(笑)
アナウンサーだと
認識してもらえるだけありがたい、
そういうことにしましょう。
登り始めて約1時間半、
やっと五合目です。
標高550mですが
ごらんのような絶景が!
目線より下に雲が広がっています。
さらに坂道と石段が続き
3時間20分かけてようやく
愛宕神社に到着です!
登山に慣れていないと
かなりハードです。
愛宕神社
標高924mにある愛宕神社は
火の神カグツチノミコトを祀っています。
火事が多かった昔は
特に人々の信仰を集めました。
そしてその信仰が今も受け継がれ
火伏札は京都の台所に欠かせないお札です。
さらに昔はかまどでご飯を炊いていたため
愛宕神社の樒の葉をかまどで燃やし
防火と家内安全を祈ったそうです。
境内の荘厳な雰囲気に浸りながらくっすんは、
歴史を感じさせる
あらびき屋根がいいですねぇ~
それを言うなら茅葺き屋根やね。
ちなみにこれは檜皮葺やで。
愛宕神社には
有名な戦国武将にまつわる逸話も。
昔ここには勝軍地蔵という大変有名な
お地蔵さまが祀られていたそうです。
安土桃山時代、明智光秀は織田信長を討つ前に
ここ愛宕神社を訪れてお参りをし
いつ本能寺の信長を攻めるか
おみくじを引きました。
光秀は3回「凶」を引き
4回目に「吉」を引いた時に
本能寺に攻め入り、信長を討ったそうです。
ここからは長ーい下り坂です。
登り坂より足腰に
負担がかかっているような気がします。
愛宕山に入って約8時間、
ようやく麓まで下りてきましたー。
河田&くっすんとスタッフ全員
もう疲労困憊です。
足を引きずるように歩いていると
水がとてもきれいな小川を発見!
疲れた足を癒そうと
川に両足をつけてみました。
気持ちいい~!
水がギンギンに冷えてるぅ~
それを言うならキンキンやね。
昔の旅人たちもこんなことをして
旅の疲れを癒していたのかなあ。
さて、しばらく休憩してから
再び歩き始めました。
亀岡市に入り歩き続けると
辺りに民家などの建物が増えてきました。
そんな中ある建物に「保津川下り」の文字が。
保津川下り
今や京都観光で
すっかりお馴染みの保津川下り。
その起源は古くなんと西暦1606年。
当時は米や炭など丹波地方の産物を
京都の町中に運ぶ産業水路でした。
元々保津川は川幅が狭く
細長いいかだしか通れませんでしたが
人力で川幅を広げる工事をし
大きな船も通れるようにしたそうです。
この日歩き始めて約13時間、
ようやく穴太寺に到着しました~!
穴太寺
穴太寺の御本尊は聖観音、
別名「身代わり観音」と呼ばれています。
この観音様を彫った仏師が命を狙われた時に
身代わりになって仏師の命を救ったそうです。
さらに本堂の奥には
お釈迦様が亡くなられた様子を表す
涅槃像が祀られています。
この涅槃像はさわることできます。
自分の体の部位でご利益を
いただきたいところをさすります。
私はお腹をこわしやすいので腹部を
くっすんは長距離歩くと
足のつけ根がすぐ痛くなるので
つけ根をさすらせてもらいました。
触ることでご利益をいただける仏さま、
昔の人たちにとっては身近に感じる
仏さまだったのかもしれませんね。
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