【和歌山城】にっぽん城下町めぐり(和歌山県和歌山市)

にっぽん城下町めぐり

約260年続いた江戸幕府。その幕府の八代目将軍を務め中興の祖とも呼ばれたのが徳川吉宗です。今回はその吉宗ゆかりの和歌山城を目指します!

徳川家康は江戸幕府を開いた後、徳川家を絶やさないようにと三人の実子を独立させました。

そして徳川の性と三つ葉葵の家紋を使うことを許し、御三家と呼ばれたのです。

第9男  徳川義直 尾張藩
第10男 徳川頼宜 紀州藩
第11男 徳川頼房 水戸藩

河田
河田

江戸時代の御三家のひとつ紀州藩がここ和歌山なんだねー。

くっすん
くっすん

御三家といえば、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎ですよね?

河田
河田

それは芸能界の新・御三家!

スタート地点は、その吉宗が建立したお寺です。

松林寺

松林寺にはかつて吉宗の母親が安産祈願と武運長久を願ってお参りをしたお地蔵さまが安置されています。本堂の横にある地蔵堂へ。

1684年、紀州藩主・徳川光貞の四男として和歌山で産まれた吉宗。父親や兄たちが相次いで死亡したため22歳の時に紀州五代目藩主に、そして33歳の時には江戸幕府の八代目将軍にまで上りつめます。

紀州藩主の四男が幕府の将軍になるという奇跡的なサクセスロードを走り続けたことになります。

ちなみに初代将軍・徳川家康以来初めて徳川宗家以外の御三家(尾張、紀州、水戸)から将軍になったのが吉宗です。

吉宗は無事に出世が叶ったということでこの松林寺を建立しました。現在では多く人たちが安産祈願に訪れています。

松林寺を出て和歌山市内を南西へ。次は大変歴史のある商店におじゃまします。なんでも徳川家とご縁があるそうです。

出来助本店

現在、海外から輸入した猟銃や競技用の銃を販売している出来助本店。厳重に管理されているショーケースの中にはライフルが陳列されています。

出来助本店の起源は1619年にまでさかのぼります。

当時紀州藩を治めるため駿河からやってきたのが徳川家康の十男、頼宜です。

頼宜は初代紀州藩主として和歌山城の改築、城下町の整備を行い紀州藩の礎を築きました。

その際に駿河からお抱えの鉄砲鍛冶職人を和歌山に連れてきたのですが、その職人が出来助本店の創業者です。

その職人が和歌山で火縄銃を製造し、その火縄銃が紀州筒と呼ばれるようになります。無駄な装飾がなくとてもシンプルなデザインが特徴で、とても性能が良かったそうです。

この紀州筒がとてもよくできていたので1759年に出来という名字を藩主から授かり、現在に受け継がれているのです。

ちなみに今回私たちを出迎えてくれたのは12代目の出来さんです。お殿様から名前をいただくなんて光栄なことですよねぇ!

出来助本店を出て南へ約1キロ、市堀川を渡ります。この川を隔てて南側がかつて和歌山城の城下町でした。

川にはさまれた和歌山城は守りが固く、水運も活用しやすい立地だったということもあり大変栄えました。

和歌山市立博物館所蔵

歩いていると住宅地の真ん中に徳川吉宗生誕の地という石碑を発見!

吉宗は四男で側室の子だったため、城内ではなく城下町でのびのびと育ちとてもやんちゃだったそうです。

そんな吉宗は幼少期に一度捨てられたことがある、というびっくりするような話が伝わっている神社におじゃまします。

刺田比古神社

刺田比古神社は奈良時代に創建され、長年和歌山城の守り神とされてきました。

吉宗が捨てられたことがあるのいうのは、拾い親という神事のことでした。

親が大厄(男性42歳、女性33歳)の時に生まれた子供は親の厄を受け継いでしまうと言われています。

そこで子供を一旦神社に捨てて、厄を落として拾い上げるのだそうです。

捨てるといってもそこは神事です。この箕という道具の上に子供を座らせてから大人が拾い上げるという儀式が行われます。

吉宗は父・光貞が大厄の年に生まれたのでこの拾い親の神事が行われたと記録に残っています。吉宗はこの神事で厄を落としたから大出世したのかもしれません。

刺田比古神社を出て北上し約600メートル歩くと立派な銅像が見えてきました。馬に乗って駆ける徳川吉宗像です!

今にも走り出しそうな躍動感ですね!ドラマ「暴れん坊将軍」のオープニングで松平健さんが馬に乗って疾走する姿を思い出しました。

スタート地点の松林寺から約17キロ歩いてきました。いよいよ和歌山城です。

和歌山城

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このサイトは、史跡和歌山城の公式ホームページです。このページでは、和歌山城の歴史や観光情報、各施設の概要や、忍者によるおもてなし等の和歌山城の魅力を紹介しています。ぜひ一度覗いてみてください。

1585年に豊臣秀吉の弟、豊臣秀長が築城した和歌山城。何度も改修され、三層構造の大天守と小天守、櫓を四隅に建築し、それぞれを渡櫓でつなげた連立式天守が完成しました。

連立式天守は非常に防御力が高いのが特徴で、日本三大連立式天守とされているのは兵庫県の姫路城と愛媛県の松山城、そしてこの和歌山城です。

天守と櫓をつなぐ渡櫓、とても美しく存在感がありますねー!

そして連立式天守は内側に中庭ができる構造です。上から見るとよくわかりますね。

戦時中に焼失してしまったので、現在の天守閣は昭和33年に復元されたものです。唯一戦火を免れた岡口門は重要文化財に指定されています。

現在天守閣の中には徳川家ゆかりの品々が展示されていて、最上階からは和歌山市内を一望できます。

和歌山で生まれ育った吉宗。この天守閣から城下町を眺めて質素倹約に努めました。

そして征夷大将軍に就任してからも倹約令、新田開発など様々な政策いわゆる享保の改革を行い財政を立て直し歴史にその名を刻みました。

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